
転校初日、星宮すずは黒板に自分の名前を書く前に、教室の窓から見える道を三本数えた。
一本は校門へ。一本は体育館の裏へ。もう一本は、校舎の影に隠れて途中から見えない。
「星宮すずです。地図と記録が好きです。よろしくお願いします」
自己紹介を終えると、彼女は席につき、すぐ小さな方眼ノートを開いた。
かなでが覗き込む。
「もう学校の地図描いてるの?」
「避難経路を確認しています。知らない場所で迷うのは、非効率ですから」
「でも星宮さん、さっき職員室と理科室を間違えてたよね」
しおりが言うと、すずは眼鏡の位置を直した。
「あれは校内表示の配置に問題があります」
かなでが笑った。
すずは不満そうにノートへ一本線を引いたが、その端も少し笑っていた。

彼女が持っているのは学校の地図だけではなかった。御詠市の古地図、廃線前の路線図、星の位置を書いた星図帳。どれにも細かな日付と注釈がある。
放課後、すずは一枚の古地図を机に広げた。
「現在の地図と一致しない区画があります」
図書館と星詩坂の間に、細い路地が描かれている。現在の地図では建物の隙間になっていて、道の名前も消えていた。
「おばあさまの記録に、この路地を調べるよう書かれていました」
「おばあさま?」
「星宮灯子。市立図書館で古い記録を整理していた人です。名前が薄くなった場所を、地図へ書き留めていました」
テンが机へ飛び乗り、星図帳を前足で押さえた。
帳面の隅に、星座線へ属さない小さな星がある。
《読点星》
「この星、知ってる?」としおりが聞く。
テンの尻尾が一度だけ跳ねた。
「名のない星に、誰かが名前を置いたんだろうね」
「あなたの尻尾と同じ形です」
すずが指摘すると、テンは帳面から降りた。
「猫の尻尾を地図に載せるのはおすすめしないよ。気まぐれに動くから」
それ以上は答えなかった。
四人は古地図を頼りに坂を下った。紙とインクの匂いがする古書店を曲がり、石段を二十七段。すずは曲がるたびに時刻と方角を記録した。
ところが、地図にない路地へ入った瞬間、背後の道が消えた。
壁と壁の間が狭まり、空は一本の青い線になる。振り返るたび、同じ郵便受け、同じ割れた植木鉢、同じ白い扉が現れた。
「落ち着いてください。太陽の位置から西は――」
雲が光を隠した。
すずの声が止まる。
「現在地を再計算します」
方位磁針は針を回し続ける。古地図の線も紙の上でほどけ、行き先のない迷路へ変わっていった。

壁に標識が生える。
《目的地なし》
《道順不明》
《迷子》
最後の二文字だけが赤く滲んだ。
「私は、迷いません」
すずは何度も言った。
「地図があれば、必ず戻れます。記録に誤りがなければ」
壊れた道路標識と星座線が絡まり、巨大な獣を作った。胸には割れた羅針盤。腕は何本もの矢印で、すべてが違う方向を指している。
スターサインマゼ。
獣が咆哮すると、矢印がすずを囲んだ。
《どこにも着けない》
《役に立たない》
《迷う者に案内はできない》
しおりたちは変身し、飛んでくる標識を防いだ。かなでの音が道の反響を探り、ゆいの赤い糸が四人の位置を結ぶ。それでも結界は同じ角を繰り返し、出口を作らない。
「正しい道を見つけないと」
すずは地図へ線を引き続けた。手が震え、同じ場所に何本もの線が重なる。

「星宮さん」
しおりが呼ぶ。
「今は、分からないって書いてもいいんじゃないかな」
「分からなければ、皆さんを帰せません」
「でも、私たちも一緒に迷ってる」
かなでは床を軽く叩いた。
「反響が違う。出口かどうかは分からないけど、あっちにまだ行ってない場所があるよ」
ゆいが赤い糸を指へ巻く。
「帰り道は、私が残す」
すずは三人を見た。
正しい地図を持っているから頼られたのではない。分からない場所で、それぞれが自分にできることを持ち寄っている。
「私は……迷っています」
その言葉を書いた瞬間、方眼ノートに新しい罫線が現れた。
一本の道ではない。進んだ場所、立ち止まった場所、引き返した場所が、星座のように結ばれている。
「でも、迷ったから、この路地を見つけました」
壁の隙間に、小さな石碑があった。表面の名前は削れている。下に、星宮灯子の筆跡で一文だけ残されていた。
《地図にない場所を、なかったことにしない》
すずの手に、銀と青のルビペンが現れた。
「迷うことは、間違いではありません。まだ道を選べるということです」
銀色の星図が肩から衣装の縁へ広がる。
「迷いを照らす、星の道標。ルビナイト・コンパス、ここに記します」
空中に文字が浮かんだ。
迷子
すずは、地図へ新しい凡例を書き加えるようにルビを振った。
旅人
「迷子は、価値のない人ではありません。まだ知らない道を歩いている、旅人です」
スターサインマゼの矢印が空へ向いた。
壊れた羅針盤は直らなかった。代わりに、そのひびへ小さな星の光が入り、獣の体を作っていた道を一つずつ照らした。

四人は、最短ではない道を選んだ。
途中で二度行き止まり、白い扉を三度見た。けれど四度目の角を曲がると、御詠市立図書館の裏庭へ出た。
時計はほとんど進んでいなかった。
すずは古地図へ、見つけた路地を描き加えた。道の名前は分からない。その欄には空白を残した。
「空白でいいの?」
しおりが尋ねる。
「はい。分からない名前を作るのは記録ではありません。でも、道があったことは残せます」
テンが石碑の写しを見つめていた。
「星宮灯子は、どこまで知ってたのかな」
「調べます。今度は、迷う可能性も調査計画に含めて」
かなでが吹き出した。
「やっぱり迷うんだ」
「可能性の話です」
帰り道、四人の影は星詩坂に長く伸びた。
その夜、しおりはノートに書いた。
しおりのノート
迷子 → 旅人
迷っている人は、間違っている人じゃない。 地図にない道を見つける人かもしれない。 私の空白も、まだ地図にない場所なのかな。
すずの星図帳では、読点星の横に新しい文字が浮かんでいた。
《終わりではない場所で、待つ》
誰の筆跡なのかは、まだ分からなかった。