
文化発表会が近づくと、学園中の壁が言葉で埋まった。
《最高の舞台を》《目指せ金賞》《今年こそ成功》
色紙に書かれた言葉はどれも明るい。けれど、しおりには、その明るさが誰かの目を眩ませることもあるように思えた。
朗読発表の代表は白井ひなただった。
ひなたは去年も賞を取り、先生にも後輩にも頼られていた。練習で一行読むたび、周囲から感嘆の息が漏れる。
「やっぱり白井さんなら安心だね」
「今年も期待してるよ」
そのたび、ひなたはきれいに笑った。
笑ってから、台本を持つ指だけを強くした。

かなでは、その緊張をほどこうとした。
「ひなたちゃんなら成功するよ。声もきれいだし、去年だって――」
台本の文字が赤く滲んだ。
ひなたの手首へ、細い赤いリボンが巻きつく。
「成功しなきゃ」
彼女はかなでの言葉を繰り返した。
「期待されてるんだから」
図書室の天井から拍手が降った。
人の手はない。音だけが何重にも響き、賞状と花束がひなたを取り囲む。赤いリボンが王冠を作り、その重さで彼女の頭を下げさせた。
エクスペクト・クラウン。
怪物は拍手を鳴らすたび、ひなたの台本へ命令を書き込んだ。

《間違えるな》《失望させるな》《好きより結果を》
四人は変身した。
かなでは自分の言葉が怪物を生んだように感じ、すぐルビペンを上げた。
期待
「期待されてるのは、できるって信じられてるから。だから――」
彼女は勢いよく書いた。
成功
水色の光は一瞬だけ文字を包み、赤く濁って砕けた。
破片がかなでの頬をかすめる。

「どうして?」
「嘘だからだよ」
テンの声は静かだった。
「ルビは励ましの言葉じゃない。本人の中にない読み方は、どれだけきれいでも光らない」
「でも、ひなたちゃんは成功したいんじゃ……」
ひなたは王冠の下で首を振った。
「分からない」
拍手がさらに大きくなる。
「成功したいって、ずっと言ってきた。みんなが喜ぶから。でも、失敗したくないだけなのか、賞が欲しいのか、この話が好きなのか、もう分からない」
しおりもすぐには答えなかった。
王冠を外す言葉を探す前に、その下にいるひなたの声を待った。
拍手の隙間で、紙のめくれる音がした。
ひなたの台本は、最後の場面だけ何度も読まれて柔らかくなっていた。
「ここが好きなの?」
しおりが尋ねる。
ひなたは長く黙ってから、うなずいた。
「主人公が、誰にも見つからない手紙を読むところ。初めて読んだとき、私も声に出したいと思った。賞なんて知らなかった」
「じゃあ、その場面を読んで」
「でも、発表は最初から最後まで――」
「今は、好きなところだけでいい」
ひなたは震える手でページを開いた。
最初の言葉は拍手に消された。それでも二度目を読んだ。三度目には、しおりたちへ届いた。
王冠の赤い宝石に、細いひびが入る。
「期待は、あなたを縛る命令だけじゃない」
しおりは、ひなたの声が途切れないことを確かめてからペンを上げた。
「誰かが続きを聞きたいと思うこと。そして、あなたがもう一度読みたいと思うこと。二つを同じにしなくても、並べて持っていていい」
期待 → 願い
「期待は、選び直せる願いにもなる」
今度の光は、ひなたの台本から生まれた。
賞状は白い紙へ戻り、花束は一枚ずつ栞になった。王冠は砕けず、赤いリボンへほどけて台本をゆるく結んだ。

発表会当日、ひなたは賞を取らなかった。
途中で一度、言葉に詰まった。それでもページを戻らず、好きな場面まで読み切った。
終演後、かなでは彼女に「成功したね」と言いかけて止まった。
「好きなところ、ちゃんと届いたよ」
ひなたは、今度は作った形ではない笑顔を見せた。
その夜、しおりはノートへ書いた。
しおりのノート
期待 → 願い
嘘のルビは光らない。 きれいな言葉でも、相手がそう読めないなら刃になる。 本当のルビを見つけるには、相手の言葉を待つ余白がいる。
書き終えてから、しおりは自分のノートの最初のページを開いた。
他人の言葉は増えている。
自分について書く欄だけは、まだ白かった。