第2話八月の改札
「戻れるのは一度きり。夜が明けるまでに、こちらへお戻りください」
カナタは改札鋏を構えた。真昼が口にしたのは、8月14日。祖母がまだ台所に立っていた、最後の夏の夜だった。
切符には行き先のかわりに、日付がひとつだけ印字されている。
「ひとつ、お伝えしておくことがあります」
「なに」
「その夜を、変えることはできません」
真昼は鋏の音を聞いた。硬くて、短い音だった。
改札を抜けると、蚊取り線香のにおいがした。台所から、まな板の音がする。祖母が、いつもの高さの声で「おかえり」と言った。何も特別ではない、火曜日みたいな声だった。
真昼は「ただいま」と言った。声が震えた。
その夜、真昼は何もできなかった。伝えるべきことは山ほどあったのに、口を開くと全部が嘘みたいに聞こえた。だから、皿を拭いた。祖母の隣で、ふきんを持って、ただ皿を拭いた。
祖母は何も訊かなかった。かわりに、こう言った。
「あんた、明日は早いんでしょう。ちゃんと『いってきます』って言ってから出なさいよ」
——あの朝、真昼は言わなかった。寝ている祖母を起こさないように、そっと玄関を閉めた。それが最後になった。
真昼は、ふきんを置いた。
「おばあちゃん」
「なに」
「……いってきます」
祖母は少し笑って、「まだ夜だよ」と言った。
—