第3話始発を待つひと
改札を戻ると、カナタが同じ場所に立っていた。時計の針は、真昼が出ていったときから1分も動いていない。
「おかえりなさいませ」
「……変えられないって、知ってて行かせたの」
「はい」
「じゃあ、意味ないじゃない」
カナタは首を横に振った。「変えられないものを、置いてくることはできます」
真昼は自分の手を見た。ふきんの湿り気が、まだ残っている気がした。
ホームの端に、使われていない改札がひとつある。柵は下りていて、その向こうは暗い。カナタはそちらを見ないようにしながら、切符の束をそろえていた。
「カナタさんは」真昼は訊いた。「どの夜に帰ったの」
鋏を回す手が、はじめて止まった。
「わたしは、切れないのです」
「え」
「自分の切符だけは。——百年、探しました。誰かが代わりに切ってくれるのを」
真昼は柵の向こうの暗がりを見た。それから、カナタの手から鋏を取った。ひやりと重かった。
「日付、言って」
カナタは長いこと黙っていた。それから、ずっと昔の、遠い日付をひとつ言った。真昼の知らない年号だった。
「ほんとうに、よろしいのですか」
「わたしのときも、あなたがそうしてくれた」
コチ、と音がした。
改札の柵が上がる。カナタは制帽を取って、ふかく頭を下げた。顔は、思っていたよりずっと若かった。
「よい夜を」
「そっちこそ」
駅の灯りが、順番に落ちていく。ホームも、屋根も、月の色の電車も、朝の側からゆっくり溶けていった。
気がつくと、真昼はいつものベンチに座っていた。始発の音が遠くから近づいてくる。空は、夜と朝の境目の色をしていた。
ポケットに、切符が一枚だけ残っていた。日付は、今日だった。
(了)
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